P--475 P--476 P--477 #1浄土文類聚鈔    浄土文類聚鈔                            愚禿釈親鸞集 【1】 それ無碍難思の光耀は、苦を滅し楽を証す。万行円備の嘉号は、障を消 し疑を除く。末代の教行、もつぱらこれを修すべし。濁世の目足、かならず これを勤むべし。しかれば最勝の弘誓を受行して、穢を捨て浄を欣へ。如来の 教勅を奉持して、恩を報じ徳を謝せよ。ここに片州の愚禿(親鸞)、印度・西 蕃の論説に帰し、華漢(中国)・日域(日本)の師釈を仰いで、真宗の教行証 を敬信す。ことに知んぬ、仏恩窮尽しがたければ、あきらかに浄土文類聚を用 ゐるなり。 【2】 しかるに教といふは、すなはち『大無量寿経』なり。この経の大意は、 弥陀、誓を超発し広く法蔵を開きて、凡小を哀れんで選んで功徳の宝を施する ことを致す。釈迦、世に出興して道教を光闡し、群萌を拯ひ、恵むに真実の利 をもつてせんと欲してなり。まことにこれ、如来興世の真説、奇特最勝の妙 P--478 典、一乗究竟の極説、十方称讃の正教なり。如来の本願を説くを経の宗致と す。すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり。 【3】 行といふは、すなはち利他円満の大行なり。すなはちこれ、諸仏咨嗟の願 (第十七願)より出でたり。また諸仏称名の願と名づけ、また往相正業の願と 名づくべし。しかるに本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには 還相なり。往相について大行あり、また浄信あり。大行といふは、すなはち無 碍光如来の名を称するなり。この行はあまねく一切の行を摂し、極速円満す。 ゆゑに大行と名づく。このゆゑに称名はよく衆生の一切の無明を破し、よく 衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはち憶念なり、憶念はすなはち 念仏なり、念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。 【4】 願(第十七・十八願)成就の文、『経』(大経・下)にのたまはく、「十方恒 沙の諸仏如来、みなともに無量寿仏の威神功徳、不可思議にましますことを讃 嘆したまふ。諸有の衆生、その名号を聞きて、信心歓喜し乃至一念せん。至心 回向したまへり。かの国に生ぜんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住 す」と。またのたまはく(同・下)、「仏、弥勒に語りたまはく、〈それかの仏 P--479 の名号を聞くことを得ることありて、歓喜踊躍し乃至一念せん。まさに知るべ し、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足す〉」と。{以上}  龍樹菩薩、『十住毘婆沙論』(易行品)にいはく、「もし人、疾く不退転地を 得んと欲はば、恭敬の心をもつて、執持して名号を称すべし。もし人、善根を 種ゑて疑へばすなはち華開けず。信心清浄なるものは、華開けてすなはち仏 を見たてまつる」と。  天親菩薩、『浄土論』にいはく、「世尊、われ一心に尽十方無碍光如来に帰 命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず。われ修多羅の真実功徳相により て、願偈総持を説きて仏教と相応せり。仏の本願力を観そなはすに遇うて空し く過ぐるものなし。よくすみやかに功徳大宝海を満足せしむ」と。{以上} 【5】 聖言・論説ことに用ゐて知んぬ。凡夫回向の行にあらず、これ大悲回向 の行なるがゆゑに不回向と名づく。まことにこれ選択摂取の本願、無上超世 の弘誓、一乗真妙の正法、万善円修の勝行なり。 【6】 『経』(大経)に「乃至」といふは、上下を兼ねて中を略するの言なり。 「一念」といふは、すなはちこれ専念なり。専念はすなはちこれ一声なり。一 P--480 声はすなはちこれ称名なり。称名はすなはちこれ憶念なり。憶念はすなはち これ正念なり。正念はすなはちこれ正業なり。また「乃至一念」といふは、こ れさらに観想・功徳・遍数等の一念をいふにはあらず。往生の心行を獲得する 時節の延促について乃至一念といふなり、知るべし。 【7】 浄信といふは、すなはち利他深広の信心なり。すなはちこれ念仏往生の 願(第十八願)より出でたり。また至心信楽の願と名づけ、また往相信心の願 と名づくべし。しかるに薄地の凡夫、底下の群生、浄信獲がたく極果証しがた し。なにをもつてのゆゑに、往相の回向によらざるがゆゑに、疑網に纏縛せら るるによるがゆゑに。いまし如来の加威力によるがゆゑに、博く大悲広慧の力 によるがゆゑに、清浄真実の信心を獲るなり。この心顛倒せず、この心虚偽 ならず。まことに知んぬ、無上妙果の成じがたきにはあらず、真実の浄信ま ことに得ること難し。真実の浄信を獲れば大慶喜心を得るなり。  「大慶喜心を得」といふは、『経』(大経・下)にのたまはく、「それ至心に安 楽国に生ぜんと願ずることあれば、智慧あきらかに達し、功徳殊勝を得べし」 と。{取要} P--481  また『経』(如来会・下意)にのたまはく、「この人はすなはちこれ大威徳の ひとなり」と。また「広大勝解のひとなり」と説けり。{以上} 【8】 まことにこれ、除疑獲徳の神方、極速円融の真詮、長生不死の妙術、威 徳広大の浄信なり。 【9】 しかれば、もしは行、もしは信、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回 向成就したまふところにあらざることあることなし。因なくして他の因のあ るにはあらざるなりと、知るべし。 【10】 証といふは、すなはち利他円満の妙果なり。すなはちこれ必至滅度の願 (第十一願)より出でたり。また証大涅槃の願と名づけ、また往相証果の願と 名づくべし。すなはちこれ清浄真実・至極畢竟無生なり。 【11】 無上涅槃の願(第十一願)成就の文、『経』(大経・下)にのたまはく、「そ れ衆生ありてかの国に生ずるものは、みなことごとく正定の聚に住す。ゆゑ はいかん、かの仏国中には、もろもろの邪聚および不定聚なければなり」と。  またのたまはく(同・上)、「ただ余方に因順するがゆゑに、人・天の名あり。 顔貌端正にして超世希有なり。容色微妙にして、天にあらず人にあらず。み P--482 な自然虚無の身、無極の体を受けたり」と。  またのたまはく(大経・下)、「かならず超絶して去つることを得て、安養国 に往生せよ。横に五悪趣を截り、悪趣自然に閉づ。道に昇るに窮極なし、往き 易くして人なし。その国逆違せず、自然の牽くところなり」と。{以上} 【12】 聖言、あきらかに知んぬ。煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相の心 行を獲ればすなはち大乗正定の聚に住す。正定聚に住すればかならず滅度 に至る。かならず滅度に至るは、すなはちこれ常楽なり。常楽すなはちこれ大 涅槃なり。大涅槃はすなはちこれ利他教化地の果なり。この身はすなはちこれ 無為法身なり。無為法身はすなはちこれ畢竟平等身なり。畢竟平等身はすな はちこれ寂滅なり。寂滅はすなはちこれ実相なり。実相はすなはちこれ法性な り。法性はすなはちこれ真如なり。真如はすなはちこれ一如なり。 【13】 しかれば、もしは因、もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の 回向成就したまふところにあらざることあることなし。因、浄なるがゆゑに、 果また浄なり、知るべし。 【14】 二つに還相回向といふは、すなはち利他教化地の益なり。すなはちこれ P--483 必至補処の願(第二十二願)より出でたり。また一生補処の願と名づけ、また還 相回向の願と名づくべし。 【15】 願(第二十二願)成就の文、『経』(大経・下)にのたまはく、「かの国の 菩薩、みなまさに一生補処を究竟すべし。その本願、衆生のためのゆゑに、弘 誓の功徳をもつてみづから荘厳し、あまねく一切衆生を度脱せんと欲せんをば 除く」と。{以上} 【16】 聖言、あきらかに知んぬ。大慈大悲の弘誓、広大難思の利益、いまし煩 悩の稠林に入りて諸有を開導し、すなはち普賢の徳に遵ひて群生を悲引す。 【17】 しかれば、もしは往、もしは還、一事として如来の清浄願心の回向成 就したまふところにあらざることあることなし、知るべし。 【18】 ここをもつて、浄土の縁、熟して、調達(提婆達多)、闍王(阿闍世王)を して逆害を興ぜしめ、濁世の機を憫れんで、釈迦、韋提をして安養を選ばしめ たまへり。つらつらかれを思ひ、静かにこれを念ずるに、達多・闍世、博く仁 慈を施し、弥陀・釈迦、深く素懐を顕せり。これによりて、論主(天親)は広 大無碍の浄信を宣布し、あまねく雑染堪忍の群生を開化す。宗師(曇鸞)は往 P--484 還大悲の回向を顕示して、ねんごろに他利・利他の深義を弘宣せり。聖権の化 益、あまねく一切凡愚を利せんがため、広大の心行、ただ逆悪闡提を引せんと 欲してなり。  いま庶はくは道俗等、大悲の願船には清浄の信心を順風とし、無明の闇夜 には、功徳の宝珠を大炬とす。心昏く識寡なきもの、敬ひてこの道を勉めよ。 悪重く障多きもの、深くこの信を崇めよ。ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひが たく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま信心を獲ば、遠く宿縁を慶 べ、もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かへつてかならず曠劫多生を経 歴せん。摂取不捨の真理、超捷易往の教勅、聞思して遅慮することなかれ。 慶ばしきかな、愚禿、仰いで惟んみれば、心を弘誓の仏地に樹て、情を難思の 法海に流す。聞くところを嘆じ、獲るところを慶びて、真言を採集し、師釈を 鈔出して、もつぱら無上尊を念じて、ことに広大の恩を報ず。 【19】 これによりて曇鸞菩薩の『註論』(上)を披閲するにのたまはく、「それ 菩薩は仏に帰す、孝子の父母に帰し、忠臣の君后に帰して、動静おのれにあら ず、出没かならずゆゑあるがごとし。恩を知りて徳を報ず、理よろしくまづ啓 P--485 すべし」と。{取要}仏恩の深重なることを信知して、「念仏正信偈」を作りてい はく、 【20】 西方不可思議尊、法蔵菩薩因位のうちに 殊勝の本弘誓を超発して、無上大悲の願を建立したまふ。 思惟摂取するに五劫を経たり。菩提の妙果、上願に酬ひたり。 本誓を満足するに十劫を歴たり。寿命延長にして、よく量ることなし。 慈悲深遠にして虚空のごとし、智慧円満して巨海のごとし。 清浄微妙無辺の刹、広大荘厳等具足せり。 種々の功徳ことごとく成満す。十方諸仏の国に超逾せり。 あまねく難思・無碍光を放ちて、よく無明大夜の闇を破したまふ。 智光明朗にして慧眼を開く。名声、十方に聞えずといふことなし。 如来の功徳はただ仏のみ知りたまへり。仏、法蔵を集めて凡愚に施す。 弥陀仏の日、あまねく照耀す。すでによく無明の闇を破すといへども、 貪愛・瞋嫌の雲霧、つねに清浄信心の天に覆へり。 たとへばなほ日月・星宿の、煙霞・雲霧等に覆はるといへども、 P--486 その雲霧の下明らかにして闇なきがごとし。信知するに日月の光益に超えた り。 かならず無上浄信の暁に至れば、三有生死の雲晴る、 清浄無碍の光耀朗らかにして、一如法界の真身顕る。 信を発して称名すれば光、摂護したまふ、また現生無量の徳を獲。 無辺・難思の光不断にして、さらに時処諸縁を隔つることなし。 諸仏の護念まことに疑なし、十方同じく称讃し悦可す。 惑染・逆悪斉しくみな生じ、謗法・闡提回すればみな往く。 当来の世、経道滅せんに、ことにこの経を留めて住すること百歳せん。 いかんぞこの大願を疑惑せん、ただ釈迦如実の言を信ぜよ。 印度西天の論家、中夏(中国)・日域(日本)の高僧、 大聖世雄(釈尊)の正意を開き、如来の本誓機に応ずることを明かす。 釈迦如来楞伽山にして、衆のために告命したまふ。南天竺(南印度)に、 龍樹菩薩、世に興出して、ことごとくよく有無の見を摧破せん。 大乗無上の法を宣説し、歓喜地を証して安楽に生ぜんと。 P--487 『十住毘婆沙論』を造りて、難行の険路、ことに悲憐せん、 易往の大道広く開示す。恭敬の心をもつて執持して、 名号を称し疾く不退を得べし。信心清浄なればすなはち仏を見たてまつると。 天親菩薩『論』(浄土論)を作りて説かく、修多羅によりて真実を顕す。 横超の本弘誓を光闡し、不可思議の願を演暢したまへり。 本願力の回向によるがゆゑに、具縛を度せんがために一心を彰す。 功徳の大宝海に帰入すれば、かならず大会衆の数に入ることを獲。 蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなはち寂滅平等身を証せしむ。 煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すと。 曇鸞大師をば、梁の蕭王、つねに鸞(曇鸞)の方に向かひて菩薩と礼す。 三蔵流支浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰す。 天親菩薩の『論』(浄土論)を註解して、如来の本願、称名に顕す。 往還の回向は本誓による。煩悩成就の凡夫人、 信心開発すればすなはち忍を獲、生死すなはち涅槃なりと証知す。 かならず無量光明土に到りて、諸有の衆生みなあまねく化すと。 P--488 道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土に通入すべきことを明かせ り。 万善は自力なれば勤修を貶す、円満の徳号、専称を勧むと。 三不三信の誨慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。 一生悪を造れども、弘誓に遇へば、安養界に至りて妙果を証すと。 善導独り仏の正意にあきらかにして、深く本願によりて真宗を興したまふ。 定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号、因縁を示す。 涅槃の門に入りて、真心に値へば、かならず信・喜・悟の忍を獲。 難思議往生を得る人、すなはち法性の常楽を証すと。 源信広く一代の教を開きて、ひとへに安養に帰して一切を勧む。 諸経論によりて教行を撰びたまふ。まことにこれ濁世の目足たり。 得失を専雑に決判して、念仏の真実門に回入せしむ。 ただ浅深を執心に定めて、報化二土まさしく弁立せりと。 源空もろもろの聖典を暁了して、善悪の凡夫人を憐愍せしむ。 真宗の教証、片州に興ず。選択本願、濁世に施す。 P--489 生死流転の家に還来すること、決するに疑情をもつて所止とす。 すみやかに寂静無為の楽に入ること、かならず信心をもつて能入とすと。 論説師釈ともに同心に、無辺の極濁悪を拯済す。 道俗時衆みなことごとくともに、ただこの高僧の説を信ずべし。 六十行一百二十句の偈頌、すでに畢りぬ。 【21】 問ふ。念仏往生の願(第十八願)、すでに三心を発したまへり。論主(天 親)、なにをもつてのゆゑに一心といふや。  答ふ。愚鈍の衆生をして、覚知易からしめんがためのゆゑに、論主、三を合 して一としたまふか。三心といふは、一つには至心、二つには信楽、三つには 欲生なり。 【22】 わたくしに字訓をもつて『論』(浄土論)の意を&M041467;ふに、三を合して一と すべし。その意いかんとならば、一つには至心。至といふは真なり、誠なり。 心といふは種なり、実なり。二つには信楽。信といふは真なり、実なり、誠な り、満なり、極なり、成なり、用なり、重なり、審なり、験なり。楽といふは 欲なり、願なり、慶なり、喜なり、楽なり。三つには欲生。欲といふは、願な P--490 り、楽なり、覚なり、知なり。生といふは、成なり、興なり。しかれば、至心 はすなはちこれ誠種真実の心なるがゆゑに、疑心あることなし。信楽はすなは ちこれ真実誠満の心なり、極成用重の心なり、欲願審験の心なり、慶喜楽の 心なり。ゆゑに疑心あることなし。欲生はすなはちこれ願楽の心なり、覚知成 興の心なり。ゆゑに三心みなともに真実にして疑心なし。疑心なきがゆゑに三 心すなはち一心なり。字訓かくのごとし、これを思択すべし。 【23】 また三心といふは、一つには至心。この心は、すなはちこれ如来、至 徳・円修・満足・真実の心なり。阿弥陀如来、真実の功徳をもつて一切に回施 したまへり。すなはち名号をもつて至心の体とす。しかるに、十方衆生、穢悪 汚染にして清浄の心なし、虚仮雑毒にして真実の心なし。ここをもつて、如 来因中に菩薩の行を行じたまひしとき、三業の所修、乃至一念一刹那も清浄 真実の心にあらざることあることなし。如来清浄の真心をもつて、諸有の衆 生に回向したまへり。 【24】 『経』(大経・上)にのたまはく、「欲覚・瞋覚・害覚を生ぜず。欲想・ 瞋想・害想を起さず。色・声・香・味の法に着せず。忍力成就して衆苦を計ら P--491 ず。少欲知足にして染・恚・痴なし。三昧常寂にして、智慧無碍なり。虚偽 諂曲の心あることなし。和顔愛語にして意を先にして承問す。勇猛精進にし て、志願倦むことなし。もつぱら清白の法を求めてもつて群生を恵利す。三 宝を恭敬し、師長に奉事す。大荘厳をもつて衆行を具足し、もろもろの衆生を して功徳成就せしめたまふ」と。{抄出} 【25】 聖言、あきらかに知んぬ。いまこの心は、これ如来の清浄広大の至心 なり、これを真実心と名づく。至心はすなはちこれ大悲心なるがゆゑに、疑心 あることなし。 【26】 二つには信楽、すなはちこれ、真実心をもつて信楽の体とす。しかるに 具縛の群萌、穢濁の凡愚、清浄の信心なし、真実の信心なし。このゆゑに真 実の功徳値ひがたく、清浄の信楽獲得しがたし。これによりて釈(散善義)の 意を&M041467;ふに、愛心つねに起りてよく善心を汚し、瞋嫌の心よく法財を焼く。身 心を苦励して、日夜十二時、急に走め急に作して、頭燃を灸ふがごとくすれど も、すべて雑毒の善と名づく、また虚仮の行と名づく、真実の業と名づけざる なり。この雑毒の善をもつてかの浄土に回向する、これかならず不可なり。な P--492 にをもつてのゆゑに、まさしくかの如来、菩薩の行を行じたまひしとき、乃至 一念一刹那も、三業の所修、みなこれ真実心中に作したまひしによるがゆゑ に、疑蓋雑はることなし。如来、清浄真実の信楽をもつて、諸有の衆生に回 向したまへり。 【27】 本願(第十八願)成就の文、『経』(大経・下)にのたまはく、「諸有の衆 生、その名号を聞きて、信心歓喜せん」と。{抄出} 【28】 聖言、あきらかに知んぬ。いまこの心は、すなはちこれ、本願円満清 浄真実の信楽なり、これを信心と名づく。信心はすなはちこれ大悲心なるがゆ ゑに、疑蓋あることなし。 【29】 三つには欲生、すなはち清浄真実の信心をもつて欲生の体とす。しか るに、流転輪廻の凡夫、曠劫多生の群生、清浄の回向の心なし、また真実の 回向の心なし。ここをもつて如来因中に菩薩の行を行じたまひしとき、三業の 所修、乃至一念一刹那も、回向を首として、大悲心を成就することを得たまふ にあらざることあることなし。ゆゑに如来、清浄真実の欲生心をもつて、あ らゆる衆生に回向したまへり。 P--493 【30】 本願(第十八願)成就の文、『経』(大経・下)にのたまはく、「至心に回 向したまへり。かの国に生ぜんと願ずれば、すなはち往生を得て、不退転に住 せん」と。{取要} 【31】 聖言、あきらかに知んぬ。いまこの心はこれ如来の大悲、諸有の衆生を 招喚したまふの教勅なり。すなはち大悲の欲生心をもつて、これを回向と名 づく。 【32】 三心みなこれ大悲回向心なるがゆゑに、清浄真実にして疑蓋雑はるこ となし。ゆゑに一心なり。 【33】 これによりて師釈(散善義)を披きたるにいはく、「西の岸の上に人あり て喚ばひてのたまはく、〈なんぢ、一心正念にしてただちに来れ、われよくな んぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ〉と。また〈中間の白 道〉といふは、すなはち、貪瞋煩悩のなかによく清浄願往生の心を生ぜしむ るに喩ふ。仰いで釈迦の発遣を蒙り、また弥陀の招喚したまふによりて、水火 二河を顧みず、かの願力の道に乗ず」と。{略出} 【34】 ここに知んぬ、「能生清浄願心」は、これ凡夫自力の心にあらず、大 P--494 悲回向の心なるがゆゑに清浄願心とのたまへり。しかれば、「一心正念」と いふは、正念はすなはちこれ称名なり。称名はすなはちこれ念仏なり。一心 はすなはちこれ深心なり。深心はすなはちこれ堅固深信なり。堅固深信はすな はちこれ真心なり。真心はすなはちこれ金剛心なり。金剛心はすなはちこれ無 上心なり。無上心はすなはちこれ淳一相続心なり。淳一相続心はすなはちこれ 大慶喜心なり。大慶喜心を獲れば、この心三不に違す、この心三信に順ず。こ の心はすなはちこれ大菩提心なり。大菩提心はすなはちこれ真実信心なり。真 実信心はすなはちこれ願作仏心なり。願作仏心はすなはちこれ度衆生心なり。 度衆生心はすなはちこれ衆生を摂取して、安楽浄土に生ぜしむる心なり。この 心はすなはちこれ畢竟平等心なり。この心はすなはちこれ大悲心なり。この 心作仏す。この心これ仏なり。これを「如実修行相応」(浄土論)と名づくるな り、知るべし。三心すなはち一心の義答へをはりぬ。 【35】 また問ふ。『大経』(第十八願)の三心と『観経』の三心と、一異いかん。  答ふ。両経の三心すなはちこれ一なり。なにをもつてか知ることを得ると ならば、宗師(善導)の釈にいはく、至誠心のなかにいはく、「至といふは真な P--495 り、誠といふは実なり」(散善義)と。人につき、行について信を立つるなかに いはく、「一心に弥陀の名号を専念する、これを正定の業と名づく」(同)と。 またいはく、「深心すなはちこれ真実信心なり」(礼讃)と。回向発願心のなか にいはく、「この心深信せることなほ金剛のごとし」(散善義)と。あきらかに 知んぬ、一心はこれ信心なり、専念はすなはち正業なり。一心のなかに至誠・ 回向の二心を摂在せり。さきの問のなかに答へをはりぬ。 【36】 また問ふ。以前二経(大経・観経)の三心と、『小経』の執持と、一異 いかん。  答ふ。『経』(小経)にのたまはく、「名号を執持す」と。「執」といふは心堅 牢にして移らず、「持」といふは不散不失に名づく。ゆゑに「不乱」といへ り。執持はすなはち一心なり、一心はすなはち信心なり。しかればすなはち、 「執持名号」の真説、「一心不乱」の誠言、かならずこれに帰すべし。ことに これを仰ぐべし。 【37】 論家(天親)・宗師(善導)、浄土真宗を開きて、濁世、邪偽を導かんとな り。三経の大綱、隠顕ありといへども、一心を能入とす。ゆゑに『経』の始め P--496 に、「如是」と称す。論主(天親)建めに「一心」とのたまへり。すなはちこ れ「如是」の義を彰すなり。  いま宗師(善導)の解(定善義)を披きたるにいはく、「如意といふは二種あ り。一つには衆生の意のごとし。かの心念に随ひてみな応じてこれを度す。二 つには弥陀の意のごとし、五眼円かに照らし、六通自在にして、機の度すべ きものを観そなはして、一念のうちに前なく後なく、身心等しく赴く。三輪を もつて開悟せしめて、おのおの益すること不同なり」と。  またいはく(般舟讃)、「敬つて、一切往生の知識等にまうさく、〈大きにす べからく慚愧すべし、釈迦如来はまことにこれ慈悲の父母なり。種々の方便を もつて、われらが無上の信心を発起せしめたまふ〉」と。{以上} 【38】 あきらかに知んぬ、二尊の大悲によりて、一心の仏因を獲たり。まさに 知るべし、この人は希有人なり、最勝人なりと。しかるに流転の愚夫、輪廻の 群生、信心起ることなし。真心起ることなし。  ここをもつて『経』(大経・下)にのたまはく、「もしこの経を聞きて、信楽 受持すること、難のなかの難、これに過ぎたる難なし」と。また「一切世間極 P--497 難信法」(称讃浄土経)と説きたまへり。 【39】 まことに知んぬ、大聖世尊(釈尊)、世に出興したまふ大事の因縁、悲願 の真利を顕して、如来の直説としたまへり。凡夫の即生を示すを、大悲の宗致 とすとなり。これによりて諸仏の教意を&M041467;ふに、三世のもろもろの如来、出世 のまさしき本意、ただ阿弥陀の不可思議の願を説かんとなり。常没の凡夫人、 願力の回向によりて真実の功徳を聞き、無上の信心を獲れば、すなはち大慶喜 を得て、不退転地を獲るなり。煩悩を断ぜしめずして、すみやかに大涅槃を証 すとなり。 浄土文類聚鈔 P--498